メッセージを受けとる者の役割
「大事な仕事は、人からは見えない方がいいんだ」
とは、先日観た映画【すずめの戸締まり】でのセリフです。
こちらでは『大事なことは見えないほうがいい』について、私のスピリチュアルに対する考えを書きたいと思います。
私は、みえない存在とコンタクトをとることを自分の世界として生きています。
私にとってはみえない存在も、みえない世界も、みえる世界と変わらないというか。
そして、みえない存在とコンタクトを続ける中で教わることもたくさんあります。
それをみえない存在からのメッセージと言ったりもしますが、彼らを万能とは思わないけど(彼らも完璧ではないという、いい意味で)、自分の知らないことや、自分の想像の範疇を超えた話を教わることもあります。
そんな話をメッセージとして、ときどきSNSなどでシェアさせてもらってます。
困るのは、どのように表現すればいいのか、どのように伝えればいいのか、そもそも伝えるべきなのか?と私が考えてしまうメッセージのとき。
みえない存在からのメッセージって、人間にとってよいことばかりではありません。
みえない存在のみなさんには、人間的な善し悪しの価値観などございませんから(笑)、ストレートなメッセージとしてやってきます。
そのストレートなメッセージをそのまま伝えることもできますが、それってどうなんだろうと思うんです。
私は人間で、私が人間として生きる世界でメッセージをシェアするなら、それは人間の私の責任であり、役割でもあると思うから。
例えば、みんなで船に乗っていて、私だけが『船底に穴があいている』ことをメッセージとして受けとったとします。
船に乗っているみんなは誰もそのことを知らない。航海を楽しんでいる。
『船底に穴があいてるらしいよ!』とそのまま伝えることもできますが、それってメッセージを受けとったなら誰でもできること。
メッセージを受けとった者の役割って『そのまま伝えること』ではないのではないかと私は考えています。
船にはいろんな人が乗っています。
『船底に穴があいている』と伝えると、不安になる人やパニックになる人もいるかもしれない。
慌てず冷静に船底の穴を塞ぐ方法を考えてくれる人、船から脱出する方法を考えてくれる人もいるかもしれない。
後者のような人ばかりなら、メッセージはそのまま伝えたほうが良いのかもしれません。
でも、いろんな人が乗った船で全員が後者のような人ばかりとはいかないと思います。
しかも、全員がどんな人かもわからないという状況だとしたら。
私は、みんなの笑顔をみていたいです。
だから、自分にできるなら、こっそり船底の穴を塞ぎにいきます。
それで何事もなくみんなが航海を続けられるなら。
自分には船底の穴は塞げそうにないなら、みんなをうまーく誘導してゴムボートに乗せたいです。
「何組かに分かれてゴムボートに乗ってみるのも楽しそうじゃない?」とかなんとか言って。
それでみんなが楽しく笑って航海を続けられるなら、『船底に穴があいている』なんてメッセージはもう必要ないし、伝えなくていいメッセージになりますよね。
私は、メッセージを受けとった者の役割は、『メッセージをそのまま伝えること』だけではなく、みんなが前向きに生きていけるように、こっそり案内するような、そっと手をひくようなことではないかと思うのです。
船を地球に置き換えたら、ますますいろんな人、たくさんの人がいるわけですよね。
だから、メッセージの伝えかたや表現、伝えたほうがいいのかどうかも考えるし、それが自分の役割だと思っています。
また、メッセージを受けとる者として『絶対にやらないようにしよう』と決めていることは、人間にとってネガティブに感じるであろうメッセージを受けとった時、そのままダイレクトに発信すること。
さらに「だから〇〇しないと」のように煽るようなことです。
「〇〇しないと」は確かに解決策なのかもしれない。
でも、不安を煽って不安から始まる行動で繋がる未来に、私は正直不安しか感じない(笑)
いくら解決策だからとて、スタートが不安なら行き先も不安の世界になる、それが宇宙の法則なのではないでしょうか。(実際、発せられるエネルギーからもわかったりします)
不安を煽ることで起こるのが、メッセージ発信者への依存です。
不安になったら、その不安を解消したいと願うのが人の性。
そのメッセージに従えば、不安が解消される、幸せになれる、善い世界になる!今よりよい自分になれる!
もうそうなると、自分で決めて自分で歩むという当たり前のことが難しくなってしまうことも。(度合いにもよりますが)
自分の判断が間違いだったらどうしよう、不幸になるんじゃないか…みたいな。
何を信じるも自由だし、信じることで救われる人もいるかもしれない。
だから余計なお世話なのかもしれないけど。
その状態が不安からくる依存なのなら
その行動が今の自分や目の前の世界を否定する心からなら
行き先(未来)は言わずもがな、な気がします。
私はみえない存在から『依存を生まないように』と言われているというのもあるけれど、依存って誰も幸せになれないんだと思う。
依存する側はもちろん、依存を生む側も。
不安なエネルギーの循環で不安な未来に繋がっていくわけだから。
まぁ、これは私の考えなだけで、その考えを押しつけるつもりはありません。
メッセージをそのままダイレクトに望まれる方もいらっしゃると思います。
そういう方には申し訳ないけれど、私ではお役に立てないと思います。
というだけです。
『みんなに笑顔でいてほしい』なんて、ただのきれいごとで、私のエゴなだけなのかもしれません。
不安になることや、パニックになること、さらにそこから這い上がることが必要な経験なのだとしたら、私の考えは誰かの経験するはずだったチャンスを奪っているのかもしれない。
誰かを不安にさせてでも、誰かに迷惑をかけてでも、誰かを悲しませてでも、メッセージをダイレクトに伝えたほうがいいのだろうかと悩むこともあります。
映画【すずめの戸締まり】は、災いがやってくる扉を閉じる『閉じ師』のお話です。
この世に災いが起こる前に、開いてしまった扉を閉じるという仕事をしている人たちのお話。
閉じ師の仕事は閉じ師にしか見えません。
人々は閉じ師の仕事のことなど知らず、日々の生活を送っている。
冒頭のセリフは閉じ師の青年が閉じ師の仕事について語る言葉です。
「大事な仕事は、人からは見えない方がいいんだ」
そのセリフに、自分もやっぱりこっそり穴を塞げる人でありたいと思いました。
誰にも知らせず、誰にも知られることなく、誰かのお役に立てるなら。
きれいごとかもしれないけど、それが私という人間の個性であり、考えです。
ですが、現状の私の反省点は
すぐに顔にでてしまうことと
「全部話してほしい、自分なら力になれる」みたいな甘い言葉にほだされて結果大惨事となってしまったこと(泣)
やっぱり『人からは見えないほうがいい』なぁ。
私もこっそり暗躍(?)できるよう、強い心とポーカーフェイスを身につけたいと思います。
スピリチュアルが依存を生むものではなく
ひとりひとりの生きる力となるものでありますように。
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