魔法は誰もがもっている
世界を旅する魔法使いnaoです。
普段はアメブロで不思議な世界の話やスピ旅話を書いていますが、サイトをリニューアルしたのを機に、こちらでもスピリチュアルな話を書いていこうと思います。
せっかくなら、こちらではアメブロとは違う切り口でスピリチュアルな話を書けたらなぁと。
アメブロの基本は『楽しい』をメインにスピリチュアルな毎日を書いています。
不思議な世界は特別じゃなくて、すぐそばにある優しい世界だよってことを私の体験から伝えたいという思いで書いています。
【現実を生きる私目線のスピリチュアルな世界】
そんな感じかな。
↓アメブロもよかったらみてみてください。
こちらのブログでは、スピリチュアルを現実に落とし込んだときに起こることや、スピリチュアルな世界に気づいたから知ったこの世界の【本当のこと】を私の体験を通して書いていこうと思ってます。
アメブロとは逆ですね。
より現実的というか、楽しい話ばかりではないかもしれない(笑)
それでも、私の知ることや体験がどなたかのお役に立つことがあれば。
特別ではない世界
スピリチュアルって生きかたのことだと思うんですね。
目に見える世界だけではない世界を、どのように捉え、どのように付き合っていくのか。
目に見えるか、見えないかという違いがあるだけで、人間同士の付き合いと変わらないと私は考えています。
みえないとされている存在、聞こえないとされている声、わかるはずがないとされている事…そういうものが現実に『在る』
そういう世界を生きている人もいるということです。
そしてそれは、特別なことじゃない。
ファンタジーでもアニメでも映画でもない。
この現実でそんな世界を生きている人もいるというだけのこと。
みえない存在がみえたり、聞こえるはずがないとされている声がきこえたり、わかるはずがないとされている事がわかったり…
そういう側面が注目されがちで、少数派とされているからか「すごい!」と思われるのかもしれません。
確かにすごいことでもあるのだけれど、
それって
「走るのが速くてすごい!」
「ファッションセンスが素敵!」
「絵を描くのが上手!」
みたいな、得意なことのひとつなんです。
私も走ることはできるけど、走るのは遅いので、走るのが速い人のことをすごいと思います。
でもそれは、その人の得意のひとつ、魅力のひとつ、というだけのこと。
その個性を持ったひとりの人というだけのこと。(もちろん、その個性は素晴らしいですが)
スピリチュアルも同じ。
スピリチュアルな生きかたも、ひとつの個性。
ただのスピってるだけの人です。
私はただの魔法使い(とか名乗ってる変な人)なだけです。
スピリチュアルな感覚、私で言うところの魔法は、みんな持っているものです。
そこには特別なことは何もない。
でも先に述べたように、目に見えないからこそ『すごい』と思われがちなのも事実。
数値で表せるものでも、明確な証拠を提示できるものでもない、感覚の世界だから。
「すごいと言われたい」
「特別な人と思われたい」
スピリチュアルは「特別になりたい」というその思いを簡単に満たしてくれます。
でももし、そんな願望が心の奥底にあるのなら、スピリチュアルに近づくことをオススメしません。
誰しも「特別になりたい」という思いは心のどこかに少なからずあると思います。
好きな人の特別になりたいという思いは、好きな人に愛されたいという思いなのかもしれません。
作品を世間に認めてもらいたいという思いは、自身の才能や努力を評価してほしいという思いなのかもしれません。
それは何の問題もないですよね。
むしろ、その思いは努力や生きる原動力となるものだと思います。
スピリチュアルは、存在そのものを肯定する考えだと思います。
みえない存在は無条件にあなたを愛してくれたり、あなたを励ましてくれたりします。
みえない存在にとっては、あなたは「特別」な存在であったりします。
それは確かにそうだと思います。
みえない存在にとっては、「あなたは特別」で「特別な才能を持つ」存在でもあるのです。
だからこそ、あなたのそばにいて、あなたをサポートしている。
みえない存在と接するほどに、その想いを強く感じます。
でもそれって、あなただけじゃない。
あなただけが特別なのではない。
親が子を「特別」に想うように
恋人を「特別」に想うように
みえない存在があなたを「特別に想っている」というだけです。
(それはありがたいし、素晴らしいことです。)
誰しも、みえない存在にとっては「特別」であるということです。
みんな特別なんです。
みんな「特別」なら、逆を返せばもう特別でもなんでもなくりますね(笑)
それを人間の世界に持ち込むからややこしい。
「自分は〇〇というすごい存在に「特別」と言われた!」とか
「自分はみえない存在にすごいと言われているからすごいんだ!」とか。
いや、普通のことやて。
聞いてるこっちが恥ずかしなる(笑)
そんな「特別」という勘違いの武器を手に入れた人は、その武器を人間界で振りかざす。
つまりは、「自分は下々の民とは違う特別な存在なのだ」と振る舞いだすんですね。
人や存在に上下をつけて、自分を上へ上へと持っていこうとする行為。
なんとも世俗にお似合いな行為です。
その時点で、スピリチュアルとはかけ離れてますね。
なぜ、そんな特別になりたい願望をお持ちの方にスピリチュアルに近づくことをオススメしないかと言うと、まずは本来のスピリチュアルから遠く離れていくから。
あなたを想うみえない存在の声もアドバイスも届かないところへ行ってしまうから。
こうなると、みえない存在のみなさんもお手上げです。(NOサポート状態。届かないから。)
そして次の段階は、「特別になりたいという拗らせた欲」とよく似た存在と仲良くなってしまうから。
そういう存在は攻撃的です。その攻撃の触手とされてしまうんですね。
人の心を奪われるとでも言うのでしょうか。
それも長い人生においては経験のうちと考えれば、経験するのも勉強になるのかもしれません。
でも私の知る限り、そういう存在に心を奪われてしまった人は、人間の世界で失うものが多すぎる。
なので、スピリチュアルで簡単に自分の「特別になりたい欲」を満たしてしまうのはどうなんだろうかと思うのです。
何度も「スピリチュアルな能力やその世界は特別ではないよ」と言い続けているのです。
もし「自分にも特別になりたい欲があるかも」と思われたなら、本当に欲しいものをみつけてください。
本当に欲しいものは、安っぽい賞賛でしょうか?
望んでいる「特別」は、特定の誰かからの愛なのかもしれません。
もしかしたら、お金や名誉が欲しいのかもしれません。
本当に欲しいものをみつけたら、その望みを満たす行動を。
望みを簡単にスピリチュアルという代替品で満たしても、本当の望みが満たされない限り欠乏感は消えないのではないでしょうか。
スピリチュアルは毒にも良薬にもなりえます。
スピリチュアルを発信するひとりの人間として、スピリチュアルに向き合う姿勢、考えを記してみました。(同時に自身への戒めのため)
スピリチュアルが誰かの楽しく生きる糧となりますように。
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